受講者からの便り(15)


No.15
2001年11月23日〜25日(某短大:通信教育課程のスクーリング)
 

矢野先生
お元気ですか? 短大で「キャリアデザイン」のSCに参加した○○です。
今日もどこかでノートPCを片手に研修でしょうか?

長い文章になってしまうので、ポイントを先に書いておきます。要点は、
「なぜ父が私のキャリアデザインのお手本か?」
「キャリアデザインは、芭蕉のたとえに似ているな」
と思ったという2点です。

実は今日、父親が怒って勤務先から帰ってきました。
父は某大学で教職についています。怒っていた理由は、「学生にやる気がみられなかった」からだそうです。ある学生さんが、予習をちゃんとしてこなかったため、テキストに書いてある文章が読めなかったのだそうです。

父は松尾芭蕉の「奥のほそ道」の研究をしています。
講義のテキストは、「原文」と「注釈」の部分があり、「注釈」の部分に漢文があったのですが、それが読めなかったというのです。
「漢文でレ点とかないんじゃ、読めないかもしれないね」と言ったら、「それを調べなければ、勉強する意味がないだろう」と言われました(ちょっと耳が痛かったです)。
普段、授業中はあまり怒らないそうですが、今日は「そんなことでは、卒業できないぞ」と言ってしまって、少し後悔していました。
「まだ3年生だから、ちょっと危機感を与えてもいいんじゃないの?」と言っておきました。他に言いようがなかったので(人に教えるということは、難しいですね)。

父が30代のころは、日本文学部に入学してくる学生は、ほとんどが「先生になりたい」という目的を持っていたそうです。その頃の卒業生は、ほとんどが高校などの教師をしているそうです。
今の学生は、なんとなく日文に入った、という感じの学生が多いそうです。
今の時代は、先が見えないので目標を持つのは大変だと思います。先生は余ってしまっているぐらいですし。今の学生さんは気の毒だと思います。卒業しても就職先がない(特に女性は)という時代ですから。
でも、こんな時代だからこそ、先がどうなっても大丈夫な知識・経験などを身に付けるにはどうしたらよいか、考えなくていけないのではないでしょうか?

スクーリングの感想で、「私のキャリアデザインのお手本は父です」と書いたのですが、覚えていらっしゃるでしょうか?
父は、祖父が50代で亡くなってしまい、奨学金で大学・大学院を卒業しました。
はじめは女子高で数年教師をしていましたが、その後大学で教えるようになりました。
教師になって以来、ずっと芭蕉の研究をしています。「やりたいことをやるのが、人生だ」と言っている父ですが、企業に所属してる人では、「やりたいこと」だけやるのは難しいですし、「やりたいこと」自体を見つけられない人もいます。
自分の「やりたいこと」を見つけ、ずっとそれを続けている父は、社会人としてとてもうらやましいです。いわゆるサラリーマンで、会社を辞めたあとに気が抜けたようになってしまう人がいると聞きますが、父は絶対にそうならないと思います。
「生涯現役」を意識したのも父の影響です。

私はコンピュータの仕事をしたかったので、コンピュータ関係の専門学校を卒業し、6年ぐらいは満足して仕事をしていました。
でも、28ぐらいになって「このままでいいのだろうか?」と思うようになり、会社を辞めたあと、翻訳の仕事を目指すようになりました。
離婚をきっかけに、「結婚は「永久就職」ではない。たとえ離婚しなくても、相手がいついなくなるかわからないのだから、自立していないと本当の意味で人生を充実させることはできない」と確信しました。

始めは自分が自立することで頭がいっぱいでしたが、ストレスで不眠症になったり、離婚したりと、いろいろな経験をして、同じような思いを他の人にはしてほしくないと思い始め
できればカウンセリング(もどきでも)できればいいなと思うようになりました。
少し心に余裕ができたのかもしれません。
(自立するには、まだ年数がかかりますが)

芭蕉は、「奥のほそ道」の冒頭で「人生は旅のようなものだ」と言っています。
キャリアデザインとは、道に迷ったり、悩んだりしながら一生かかって目的地(のぞましいキャリア)にたどりつく旅のようなものだという気がしています。

とりとめのない文章になってしまい、申しわけありませんでした。
では、また。