受講者からの便り(21)


No.21
2002年6月7日(某自治体:キャリアデザイン研修)
 

研修の時、先生には言いませんでしたが、私がわざわざ遠いこの県(九州外であれば良かったのですが・・・)に来た理由を。
それは、「ゼロから出発したかった」からです。
消極的な自分の性格を変えたかった。
4人兄弟の末っ子で育った私は、甘えん坊であんまり自分の意見を言わない、いや言えないおとなしい子でした。
学校の成績は、上位(と言っても田舎ですから大したことありませんが)で、親父の薦めである高等学校へ進みました。
(国家公務員か県職員になることが目標で入ってくる専門学校。)
最初は、40人中10番以内の成績でした。
それが卒業の時は、20番以降になっていました。
なぜ成績が落ちてしまったか。1年生の後半だったか、世間を見てしまったんですね。
社会の中に置かれている自分を。
学校の勉強ばかりしていてこれでいいのか、社会に出てからもっと自分を認められるようにするべきではないのか。
自分なりに色々考え、人生に関する書籍を読むようになりました。
消極的な性格、人前でうまく話が出来ない自分を直すために自己催眠術の訓練をやってみたり。
しかし、色々やってみても、昔から自分のことを知っている近所の人は、今までどおりの見方しかしてくれません。
(今思うと、そんな簡単に性格改善できるわけはありませんよね)
県を選択するとき、九州外を希望しました。
九州内にいると、自分を知っている人たちが近くにいて、いつまでたっても今までの自分としか見てくれないからです。
「逃げ」であったかもしれません。

結局、この県に採用され、第2の人生が始まりました。
回りは、当然自分がどんな性格の者か知らない人ばかり。
今までの嫌な性格の自分に「封」をして、希望の性格目指してスタートしました。
会議があると、率先して手を挙げるようにし、何事も自発的に取組むように心がけました。
人生の本、性格改善の本、いろんな本を読みました。
職場内外、いろんな人と出会い、お酒の力も借りながらたくさんの人と知り合いました。
たまに、でしゃばり過ぎて失敗したり、落ち込んだこともありました。
振り返って、「目指していた性格になれたな」と感じたのは、36歳の時でした。ゼロからスタートして18年です。
今は、意見を平気で言う、筋通さないとちょっとうるさい九州男児の自分がいます。

こちらに来て22年が経過しました。これまで本当にいろんな人にお世話になりました。
今後もたくさんの人と出会い、たまには涙を流し、喧嘩をすることもあると思います。
今の自分の性格がベストとは思いません。まだまだ改善していく必要があります。
よく、「自分は、こんな性格やから」とか、「あんたみたいに言えたらいいけど」とか言われる人がいます。
性格は、生まれながらに持っている部分と、生活環境によって造られていく部分があります。
「性格は変えられる」私はそう思います。

先生の研修を受講して、改めて自分を振り返ることができました。
一方、今後のビジョンについては、しかりした考えがない自分に気がつきました。
これからのビジョンについてじっくり考え、自分の最良の人生像を築りあげたいと思っています。
今後とも、良き相談相手としてよろしくお願いします。