受講者からの便り(27)


No.27
2003年1月11日〜13日(某短大:通信教育スクーリング「人的資源管理」)
 

本日もスクーリング「人的資源管理」、お疲れ様でした。
9Groupの○○○○です。
感想ラベルに書き切れない部分を補足致します。

ラベルには、ダメだしとして、フィードバック時に、学生の発見や気づきに対してもっと誉めて欲しい、と書きました。あわせて、すぐに、「それ以上に」を言われる事で、やらなきゃいけない事が増えすぎてしまう、折角発見したことを成功体験に出来ない、と書きました。

そう書いたのは、自分自身の身にある心当たりが在ったからです。

私は短大に入る前、□□大学の人間関係学部を卒業しました。
そこで私は、大学合唱団の学生指揮者をしていました。その時に、私は年間100本以上も練習の陣頭指揮、進行をしていました。
音楽でも勉強でも何でもそうだと思いますが、気づきや発見が訪れる時期、と言うのは個人差があります。
私は当然団員より幾分先回りをしている必要がありました。
演奏会と言う大本番に向けて、ある程度先に道筋を立てておく必要があったのです。
そこでやはり定期ごとにパート毎にフィードバックをしてもらい、それを全員で発表、確認して私も立場上コメントする、ということがありました。
私はその時、後輩たちが音楽の「原理原則」と言うものや、良さ、あるいは新しい視点や見え方を発見した事を喜びました。
しかし、私にはその先にあるものが意識されていました。
演奏会と言うゴールに向けて、私としてはそこで満足されては困る。そのままもっと先を見ていけば、更に創造的で生産的な音楽へのかかわりを楽しめる、そう思うわけですね。
で、そこで私がした事は、今思えば「それはいいことだ、だけど…」と言う類のものでした。
私が真剣なのは当然団員もわかっていましたし、少しでも貢献したい、答えたいと言う思いがあったかもしれません。
だから、私にとってはまだまだ先がある、というような発見や気づきでも、当人は凄い苦労の末にたどり着いた、と言う思いがあるかもしれなかったわけです。
でも、私はその思いを無視して、「団員の為でもある」と言う思い込みで、その新しい発見や気づきをじっくりと遊ばせ、楽しませ、身体に染み込ませてポジティブな、自然な好奇心でその次へと気持ちを向けさせるチャンスを自ら潰してしまいました。
「それはいいことだ、だけど…」、そう言った会話をしているうち、団員たちは活気を失い、凄まじい徒労感に襲われたはずです。
先生も仰っていましたが、「真面目なら、真面目な人ほど」そう言った徒労感に襲われたはずです。
学生時代の私はOBや常任指揮者等指導者から、激しいプレッシャーを受けていましたし、余裕がありませんでした。私は外圧に耐え切れず、演奏会前に自分に対する集中や練習に対する緊張/集中が離れるのを極度に恐れていました。
自分が覇気を奪っているなんて気付く余裕も無く、活気が無くなればまた先を匂わせて、にんじんぶら下げ、それでもダメなら辛らつな物言いで刺激。
その繰り返しの悪循環にはまっていきました。

勿論、先生がそのときの私のようだ、何て思ってません。
当然お考えがお有りの上、なのだろう、と思いましたが、ちょっと学生の態度を見ていて不安になったので、言ってみようかな、と思いました。

私も今日はその徒労感に似た疲労感を感じました。
頑張っても目標の見えない時、必要以上に疲労感を憶えることがあります。そんな状態に近かったのかもしれません。また、3日間の短期講座ですので、成果を焦る気持ちが、私に在ったから、徒労感を感じたのかもしれませんが。

とにかく、こんな生意気なことをあえて申し上げるのは、二つ理由があります。

1つは、勿体無いかも、と思ったからです。
私も先生の仰る事に非常に共感する物があります。それも数多くあります。
スクーリングの効果を最大限に引き出すには、という考え方や、細かい法制や知識ではなく、原理原則といえるような物を実感する方が大切、という考え方を感じますし、全て与えられた所から始めるのではなく、自分たちで現状を分析し方向性を考え問題解決し、結果的に自分の見解を持つと言う事。この3日間で「自律」する、結実させることにこだわる、疑問をもつ、と言うこと。
だからこそ、その活動の中で学生が勇気を出して発見したことを報告した時に、その学生が発見したことに、どんな価値があるのか、どんな意味が在るのか、そっちの方をより聞いてみたい、と思うのです。
先生のような方から「その発見は価値がある。色々応用してみてごらん」と言って頂ければ本当に自信になると思うんです。自分では発見できない価値や意味を、先生の側から与えていただきたい、と思うのです。
一方で、講師が価値つけすべきではないのかもしれない、とも思いますが、今日感じたのは、この3日間の間だけでもちょっとしたやる気をより出す、きっかけになるかもしれない、と言う思いの方でした。
それで学生が自分で発見したことに自信を得て、より創造的に、積極的になれば本当に素晴らしいスクーリングになると私は思います。
私はあえて「ダメだし」と言う言葉を使いましたが、なんとなく感じとして「ダメだし」と言う印象が残ってしまうと、自分の価値を感じる事が出来ない。だから、最後に「いい発見をした、その価値を大事に」と言う印象で終わって貰いたい、というお願いをしたい、というのが理由の1つです。
同時に、最終的な先生からの総評の中で、しっかりと先生からの苦言、批判も聞いてみたいと思います。
突然のフィードバック、しかもダメだし、になっては、学生が警戒して発見や気づきを吐露してくれなくなる、そんな懸念も同時に感じました。
MAN TO MAN でフィードバックをしかも講師とする。
そのような機会は本当に希少ですし、勇気の居る事。
でもそこにあえて踏み込まれた事は本当に素晴らしい、いい機会だと思います。
真面目に書いた人に簡単でささやかな「ご褒美」を、与えて頂けたら、本当に良いな、と思ったのでした。

そしてもう1つの理由は、先に述べたとおり、私も共感する点が多く、非常に貴重なコンセプトと体験を体感できる、よいスクーリングだと感じている事、を、伝える為です。
私からのささやかな協力、と言うか、成人式に出たい学生の事も相談に乗っていただきましたし(笑)、誠意と言うか。
今日遅刻もしてしまいましたし((笑)明日はホント、ちゃんと行きます。)
感想を取る、と言うことに対する、私なりの誠意です。
本当に正直に感想を話せば、これくらいの長さになると言う(笑)。普段も紙面一杯に感想は書くほうですが、先生が盛んに意見を求めていらっしゃるようでしたので、本当に正直に伝えてみようかな、と言う気になりました。
私はとても気まぐれな性格なので、気が向いた、と言う所でしょうか。
これも先生の仰ったとおりですね。先生からの情報発信を感じて私もそれに答えるそれで情報が入って来るという。
いかがでしょうか?時間の都合や度合いの問題はありますが、真剣さが伝わってくるようなものには、ちょっとしたご褒美。

ちなみに、その年の合唱団の演奏会ですが、結果的にはいいものになりました。
それは、私もそんなやり取りに疲れ、力を失った時に団員が力を貸してくれたのだと思います。
合唱団と言うのは、昨今では珍しいと言うかありえないくらい、様々な規範を必要とします。まず、全体的なボリュームを調整する意味でも、出演者全員が揃わなければある意味では練習は部分的なものになりますし、音をそろえる、と言う意味でも、声や身体による振る舞いにおいて、非常に知的で高度なバランス感覚、判断力を必要とします。
現代の学生でそれを常に行うのは至難の技で、学生指揮者の方が潰れてしまうのが常でした。
実際私が現場に出たきっかけは、前任の長が鬱病で自宅に引きこもってしまったことが直接の原因でしたしそういう言い訳があったから私も出来たのかもしれません。
規範についても、ある程度遅刻や出席状況、曲の習得状況や振る舞いそのものに関しても、妥協せざるを得ませんでした。
それでも、私が必死に準備をしてきた事、曲の解釈とか、フレーズのイメージの仕方とか、音量の運び方と歌詞の流れの関係、等など、そうやって勇気を出して自分の考えを吐露した時は、本当に緊張したし怖かったです。
でも、私のイメージを理解してくれ、音楽ですぐに劇的な変化、反応を返してきてくれた時や、それぞれのスケジュールを調整して練習に参加してくれる、楽しみにしてくれる、向うから、「もっと歌いたい」と言ってくれたりする「ご褒美」は、本当に自信になりましたし、動機付けになったのです。
それが、学びの喜び、と言うか、そう言ったモチベーションを教えてくれ、僕が指揮者としてある程度の仕事を残すことが出来た、大きな要因になったのです。

だから、ちょっとそんな話をしてみました。

今回のスクーリングは、頭でわかっていても現実にやってみると本当に難しいですし、疲れますね。
「自分の個性と他人の個性は違う事を認識する」、と在りましたが、興味の対象がまず違います。このグループワークを通じての、目標がそれぞれに違うのです。
特にこの短大のスクーリングの場合は本当にばらばらで、妥協点を見出すのにいつも苦労します。
それと、「自律」に関してですが、現代人にとって「自律」は本当に難しいテーマなのかもしれません。
「自律」の必要性を感じる機会が、極端に昔より少ないのかもしれません。社会との関わりが希薄に感じられるのか、社会と言う概念自体がピンとこないのか。
ちなみに私は「自律」について、本当につい最近、少し寛容になろうかな、と思うようになりました。
自分に対する要求は数、程度限りないですし、そうやって自分を追い立てているうち、色々な要求や自分に対する要求に応えようとしすぎるあまり、私は本来の自分を見失い掛けていると感じる事があったからです。
でも何か自分の問題を改善しよう、とする時、いつも立ち返ってくるキーワードは「自律」でした。そして、自律した自分を生きると言う事は、それ自体が自分をより自分の思うように生きる事に近いのかもしれません。とも思います。
しかし最近は、そんな生活を少しサボっています。
と言う訳で、気まぐれの感想の補足は以上です。

私が最近スクーリングを楽しいと感じているのは、講師の先生方が、3日間のあの教室と言う「劇場」で、本当に様々なメッセージをパフォーマンスしてくれるからです。
授業の内容より、そっちを楽しむ方が、楽しかったりします。
3日間だけの空間、と言う状況が、先生方に、何かを伝えよう、何か残そう、と言う気持ちを呼び起こさせるのではないかと思います。
人は究極的には、「誰かに自分の発見した何かを伝えるために生きるもの」と言うのが、最近私が気に入っている人生の関する哲学です。
自分が持っている情報をスピーチする機会。先の私の人生哲学(マイブームの)に照らしても、良い機会だと思います。
学生指揮者と言う立場を貰った私もそうでした。
 ですので、明日のスクーリングでも、先生の総評、と言うか、パフォーマンス、問題提起、最終弁論、と言うか…、期待しております(笑)。時間が上手く出来れば本当に良いな、と思います。

ここまで長い感想文となると、幾ら誠意とはいえ、とても迷惑な物を送りつけるような気もしますが(笑)、まあ、求められたので、と言うことで、ご了承ください。
簡潔に自分の考えを話すのがどうも苦手でね…(笑)。申し訳ございません。
お忙しいでしょうし明日もお互い朝も早い事ですから、取り立てて返信等は本当に結構です。全部まともに応えていただかなくても本当に結構ですし。
あくまでも、気まぐれ、気が向いたから、ですので。
明日の講義もある事ですし。
酔っ払いの小言ぐらいで、聞き流して頂いて。はい。
それでは、明日もう1日、宜しくお願い致します。

P.S.1 
確か、我が9班の発表担当を変更する時に、私が何と言ったか、と言う話がありましたが、昔TVでやっていた「100万円クイズハンター」で、回答者間で獲得した商品を奪い合うコーナーがありまして、それが「ハンターチャンス!」と言うコーナーだったんですね。
それが先生には「簡単そうだから。」に聞こえたんだと思います。
私は自分の班が9章から7章に移動するのを見て、咄嗟にその商品が移動する様を思い出し、「ハンターチャンスでお願いします」と小ギャグを言ったのでした。
お粗末さまでした(笑)。

P.S.2 
このメールは、あくまでも気まぐれで書いている為、(もちろん一番は自分なりに誠意のある感想文、と言うことですが)後々見たりすると相当恥ずかしく、立ち直れない可能性がありますので、HPや講義で転載したりするのは極力やめてくださいね(笑)。


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