矢野正の歴史(社会人時代)


1976年(昭和51年)4月:ロイヤル株式会社入社

「レストランの店長」をやりたくて、苦労を覚悟で入社した会社でしたが、1週間で辞めたくなりました。
その時に、
西郷鉄之助さんが親身に相談に乗ってくれました。
あの時西郷さんが、私の言葉ではなく気持を受けとめてくれなかったら、今の私は存在しないと思います。
随分お会いしておりませんが、いつも感謝しております。
元上司、お仲人さん、人生の師匠でもある福永淳士郎さん
わがままな私に、やりたいように任せてくれて、怒られたことは一度しか記憶にありません。
それも仕事以外で・・・。
大声で話し、笑い声が絶えず「仕事は楽しくやるもんぜ」と後姿で「働く喜び」を教えてくれました。 
私がこの仕事を始めたのも彼の影響が大です。
足元にも及びませんが、いつも意識させて頂いております。
結婚直前に借りていた一軒家のルームメイト二人
私なりに頑張っていたつもりですが、彼らに対する甘えがあったのでしょう。
夜中店鋪から疲れて帰ってくる二人に会社の状況を不満たらたら話していました。
ある時溜っていた怒りが爆発したらしく「お前の愚痴なんか聞きたくない。愚痴を言うくらいなら辞めてしまえ!」と説教されました。
それ以来「愚痴を言うくらいなら辞めよう」と決めております。
新人研修を担当すると、二人の存在を思い出します。
卒業真際の旅行先北海道で出会ったのが、雅代君です。
遠距離恋愛を2年半続けられたのも、サラリーマンとして頑張れたのも、
そして現職を充実できているのも、全ては彼女のお蔭です。
公私ともにわがままで突っ走る私を、陰になり日向になり支えてくれるとても頼りになる存在です。感謝。
1979年(昭和54年)12月:第一企画株式会社入社

当時は、中途採用ましてや人事担当者の募集は非常に珍しかったです。
それでも『社員を大切にする人事』をやりたくて入社したのですが、過去の実績を買われた訳でもなく、退社する事務職社員の後任だったようです。
当初はルーチンワークで残業しておりましたが労使交渉で資料作成をシステム化(簡易ソフトを活用)したことがきっかけになり、徐々に自分の居場所を広げていくことができました。
それ以降、システム(当時)の
校條さんには、支えて頂きました。
最後は人事課長で辞めたのですが、歴代の労組の役員さんが歓送会を開いてくれて、自分なりの充実感はありました。
でも、決していい上司ではなかったのです。
私の入社数年後に配属されてきた馬場ちゃんはとても印象的な存在でした。
『トンガリ君』と名づけているのですが、一緒に取組んだ採用の仕事で次から次と素朴で鋭い疑問を投げかけてきます。
それぞれもっともな話なのですが、壁が厚く思うようにいきません。そんな中でも、彼の存在が刺激となり、二人で採用方法を徐々に変えていきました。 
一度は最終面接の判定会議で、社長に疑問を呈したこともありました。結構勇気が必要だったのですが、彼との関係を崩したくなかったし、自分達に努力と工夫をしてきた自負もあったからです。
結果翌年ですが、社長から認めてくれる発言も引き出しました。
年令が上とか下とかは関係ありません。刺激的な人物でした。
一企時代で最も印象的な人物は、創業者社長の境直哉氏
ロイヤルの
江頭社長はガンガン引っ張るタイプでしたが境社長は一見物静か。
でも芯の強さは半端ではなく、
視点の鋭さ・ユニークさと共に
随分悩まされたものです。
「社長が少し変わってくれれば」と思ったことも随分ありました。
ただ、退職日にはこんなことがありました。社長から退職金を手渡して頂いたのです。
20分程の会話の中で、言葉は少ないが、彼なりの労りと激励のメッセージが伝わり、とても嬉しかったことを覚えております。
あの場面を特別にセットして頂けた
北島さん百井さんに感謝しております。
1991年(平成3年)7月:第一企画株式会社退社

独立を促したキッカケはまず福永さんのお薦めです。
彼は福岡でコンサルをやっておたれ、「お前も一緒にやらないか」と声をかけてくれたのです。
でもなかなかふんぎりがつかなかった時期に、サンフランシスコに出張しました。
日本人の留学生やアメリカの学生さんをリクルートするフォーラムだったのですが、そこで出会った若者たちに刺激を受けました。
例えば、
ハーバードの学生は我々以上に日本の文化や歴史に詳しく、日本語も美しいのです。
女子留学生の
千尋さんは、周囲に日本人が居ない場所を選んで異文化体験を積んでおりました。
シスコに着いたその晩にホームシックにかかった私も、帰りの飛行機の中で独立を決意しておりました。
通算15年以上「人事」を担当してきた私ですが、研修やコンサルには全くと言ってもよいほど縁がありませんでした。
そんな私が「研修講師」と「コンサルタント」を目指して独立したのですから、実績のない私に仕事が廻ってくる訳もありません。数年間は仕事を廻してもらえず、随分苦労しました。
それでも、その時の辛さや周囲の激励が今日の私を支えてくれていると思っております。
能力も実績もない私が考えた「持ち味」は採用活動を通じて培った「若者との接点」でした。
苦しんでいる時に持ち味を活かせた研修が、”
キャリア開発研修”です。この研修を通して、私自身も成長していくのですが、当時のメンターのお一人である齋藤貞夫さんが大病に倒れました。
もう相談に乗って頂けないと思うと辛いです。
独立をしてかれこれ25年になります。
管理職研修、人事考課者(被考課者)研修から新人研修、就職を目指す学生さん向けあるいは中学生向けの講演、最近では婚活支援事業まですべて「キャリア」の視点を軸に展開しております。
 
現在は仕事も生活も充実しておりますが、ここに至るまでには、様々な方々にお世話になりました。
ロイヤル時代の友人、一企時代の同僚、広告業界の人事担当者、家族、親類、受講生、研修の事務局さん、手術でお世話になった徳洲会病院のスタッフ、タクシーの運転手さん等々、数えあげれば切りがありません。
更に、毎日出会う方々にお世話になり、学びの素材を提供していただけることに、心から感謝しております。 

社 会人時代
義父:ロイヤル時代に福岡から東京へ転勤してきて以来、私はずっと『マスオさん』です。
   父親は物静かな人でしたが、私たち夫婦をいつも温かく見守ってくれました。
   残念なことに、99年11月に亡くなってしまったのです。恩返しもできないままです。
義母:少し年をとった『サザエさん』のような母親です。
   いつも周囲を明るくしてくれ、太陽のような存在です。
   私は出張がちですが、二人で居てくれれば安心しております。
   父親に恩返しが出来なかった分、いつまでも元気で居て欲しいと願っております。